Toyokumo Tech Blog

トヨクモ株式会社の開発本部のブログです。

大学休学 => ゲーム業界でインターン => トヨクモに就職しました

初めまして、開発本部の松尾です。

22年度新卒として、4月にトヨクモに入社しました。

今回は、ゲームプログラマを志して情報系の大学に進学してから、大学を休学し、何故この業界に就職するに至ったのか、経緯を振り返りつつ、新入社員としての初心を書き残して置きたいと思います。

私の進路は比較的右往左往している方だと思いますので、こういう選択もあるのか、などと面白がって読んでいただければ幸いです。

高校生時代

高校生の頃からプログラミングをやっていて、朧げながら、自分はこの業界に進むのだろう、という意識がありました。

プログラミングを始めたきっかけはマインクラフトを始めとするゲームの改造であった為、転じてコンピューターによるエンターテインメント全般に興味が湧き、大学ではメディアプログラミングなどをやりたいと思い、一浪の末情報系の大学に進学しました。

浪人生時代

先程は一行で流しましたが、これまでの経緯を語る上で浪人生時代は欠かせません。 親に顔向け出来たものではありませんが、結論から言うと、この一年私はとにかく自分の好きなものを作るためにプログラミングをしていました。 (ゲームエンジンでゲームを作成したり、当時流行りだしたVTuberを作ってみたり)

是非は今のところ判断しかねますが、この一年が私の今後の人生を大きく変えたと思います。

この一年で2つのことを覚えました

  1. 手を動かすと身につく
  2. 人から教わらなくても、意外と大抵なんでも出来る(当時の主観)

大学生時代 〜前編〜

浪人生時代のある種の放蕩生活は自然な結果に帰結し、第一志望に落ちましたが幸い後期試験で他の国立大学の情報系に進学することが叶いました。

当初は大学生活を謳歌する気に満ちていたので、面白い人や活動に触れられたら良いなと思い、関心がある技術系を中心に数多くのサークルに所属しました。 実際、今でも関わりがあるくらいには、友人関係に恵まれ、これ以上無いという程に大学生活は楽しいものでした。

しかし、一年の後期には、自分の中で大学の単位を取るというモチベーションがほぼ無くなっていたのです。

恐らく謳歌しすぎてしまったのでしょう。下手に技術力の蓄えが(年齢にしては)あったし、当時は音楽など様々な創作にも手を出しており、「割と何でも出来る人」として扱われているうちに、自分でもそう錯覚するようになっていました。

実際、当時の関心の中心は、学術的な知識が必要にならないという意味で、応用的な分野が多かった為か、作りたいものの作り方が思いつかない、という場面に遭遇することはありませんでした。

そして、その分野に於いては、授業や参考書で体系的に知識を得ようとするよりも、実際にハンズオンで学習することが、少なくとも自分にとっては最も効率の良い学習方法である、ということを肌で感じていました。

そうしているうちに、「今自分がやりたいこと」を実現するためには、大学の学位を取るということが、果たしてどれ程重要なことなのだろう、と考えるようになっていました。

大学生時代 〜後編〜

応用的な技術に触れているうちに、自分が手を出したくても出せない領域があることに気づきました。 例えば、当時作っていたモーションキャプチャシステムを小型化したいと考えたときに、今まではノートパソコンを背負ったりしていたものをマイコンに移行したいと考えました。しかし、今までのようにスムーズに行きません。

そこにはOSやドライバという概念があり、今まで目を向けていなかった世界が露出していました。

今まで自分が使っていたツールは、Unityという「ゲームエンジン」で、C#という言語が、Monoという「実行環境」で動いており、デバイスの情報を取得出来るのは、SDKの提供者が、より低レイヤーにアクセスするための「バインディング」を提供しているに過ぎない、ということを悟ったのです。

とにかくこの時点で、自分が使っているツールに対する理解の重要性を思い知りました。そして、いつの間にか私の関心は、なぜコンピューターが動いているのか、3Dモデルを表示出来るのはなぜか?などの、「仕組み」に寄っていったのでした。

そのうち、今まで作品を実現するための手段であった技術が、純粋に関心の対象となりました。(愛を込めて「技術バカ」と呼称しています。)

インターン時代

すっかり技術バカになった私が、改心して大学で真面目にコンピューターサイエンスを学ぶかと思いきや時既に遅し。

尖った人間で有りたい、という自己実現の願望があったのでしょう。

大学の勉強のモチベーションを持ち直すのも難しかったのもあり、

「ここまで来たからには、持ち前の意欲を生かして、社会で通用するレベルの技術を知ろう」

と考え、振り切れることを選びました。大学を休学し、一年間フルタイムでインターンをすることにしたのです。

働かせて頂いたのは、「Cysharp」というCygamesの子会社で、多いと数千単位でスターがついている、有名なOSSを数多く公開している会社でした。

主に開発に携わっていたのは自社製品ですが、ライブラリ製作者の視点で、ときに専門的な知識を活用したりすることもありました。なにより、それを実際に世界レベルで実践している人が近くにいることは、とても新鮮で刺激的な体験でした。

また、新規のOSSライブラリの開発に関わらせて頂いたことも貴重な体験であり、誇らしくもありました。

そして、思わぬ気づきもありました。

  • 技術に長けた人であっても、会社での判断に於いては、「技術バカ」に一歩引いた態度を取っている。
  • コミュニケーション能力は重要

私が「優秀な技術者」として捉えていた方は、CTOでもありましたが、CEOでもあり、確かに商業を成り立たせる為の視点を持っていました。

ここで自分の原点を顧みると、自分にとっての技術は作品を実現するための手段であったことを思い出しました。 それと同時に、「人生において、様々なフェーズで、自分の価値観や関心が変わることがあり、それは自分が思っているよりも高頻度に起こる」ということを実感しました。

それまでもよく話に聞いていたことではありますが、やはり実感が伴って初めて価値観に影響するものです。それまでは、その時々の価値観に従った生き方をしていましたが、近い未来に価値観が変わったり、視野が広がったりすることを前提に行動をしても良いかもしれない、と思うようになりました。

現在

現在、私は岐路に立っています。

会社に入社して、様々なバックグラウンドを持った方々がおり、中には全く別の、高卒=>社会人=>大学というルートを辿っている方もいます。 立派な学歴を持った方の正確な知識に圧倒されることもあるかもしれません。

自分に足りない能力がある。それは大学で得るはずのものだ。と感じたら、夜間に通ったり、大学に戻るということもあり得るでしょう。

価値観が変わっても無駄にならないことはあると思っています。それは成長することであり、今私がこの会社にいる理由の1つでもあります。

トヨクモは、開発のスピード感もあり、優秀な方々がいるので、成長の場としてもうってつけだと思います。 この初心を忘れず、今後の社会人生活も精進していく所存です。


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